独特なリズム。『サムライフラメンコ』【アニメ視聴後雑記】
皆さんは、『サムライフラメンコ』というアニメを知っているだろうか?
超ザックリと紹介すると、2013年から2クールに渡って放送されたヒーローを題材にしたアニメだ。
Out of date な話だが、つい先ほどこのアニメを観終わった。そのノリで感想を書く。
知っている人は今更なお話かもしれないが、お目汚しながら読んでいただけるとありがたい。
知らない人は今ここで知ればいい。さぁ!dアニメストア等にアクセスだ!
以下ネタバレ有りの殴り書き
簡単なおさらい
物語やキャラクターについてはを見て欲しい(投げる)
物語のテンポ
さて、この物語の内容に入らずにそのテンポを簡単に述べると「なかなか癖の強い物語」という評価が妥当だと思う。
主人公 正義の肩書に注目してお話の流れを整理すると、「モデル兼不審者 → モデル兼ネットで有名な不審者 → モデル兼悪の組織と戦う民間ヒーロー → モデル兼国営戦隊のレッド → モデル兼国家反逆者 → モデル兼地球を救った英雄」という怒涛の展開が22話でまとめている。起承転起転起転転承起承転結といった作りのように感じた。(起承転結という括りが漢詩の創作のためとか言う議論は置いておく。)
視聴している際、常に私はこの物語に危うさを感じていた。何に対してとは正確に言えないが、正義がダークサイドに落ちそうな危うさだったり、第7話「チェンジ・ザ・ワールド」以降の物語がすべて夢なのではないかという危うさだったり、と見ていて常にハラハラした。
加えてこの物語は鑑賞している間、帰着点が全く分からない。というより帰着点がすぐに変わってしまうのだ。何かが壊れ何かが生まれるのがあまりにも早い。日曜の朝からヘボット毎週キメていた私でも、なかなかの速さについていくのに疲れを感じるものだった。
(ヘボットはいいぞ!)
では、このリズムはあまりにも早いだろうか?答えはNoだ。多分この流れは私たちの人生と同じリズムが流れている。そう。一瞬で何かが変化し、その中で流されていき、未来が描けない、描けても変化していくその様子が。
この物語世界は当初、私たちが生活している世界とよく似た設定でスタートする。これは非常に入りやすい導入だ。しかしある瞬間に自分たちの目の前に怪人やエイリアンたちが現れることが常態化し、果てには非常事態が宣言され、物語の中のヒーロー達が実在しその力を振るう。ある一瞬からそんな世界へと急変する。
そんなこと有り得えない、なんて幼い頃の私は言えたかもしれない。だが現在の私はそれが起きても多分不思議に思わないだろう。これは現在の世情からそう言っているのではない。人の体や心が限界を迎える瞬間なんて一瞬だからだ。何かの臨界点を超えるとそれまでの世界が一転する。そうなると物語は常に転がり続けてしまう。
この物語は常に転がり続け、外見的には斜め上へと飛躍し続けた。
アナログに変化するキャラ
外見は転がり続けていたものの、内面は転がり続けていたわけではない。むしろその逆だ。
正義は最初から最後までおバカでまっすぐな青年だった。外見が貧弱な初期のサムライフラメンコであろうと、サムライレッドであろうと、総理と殴り合った以降の強化型サムライフラメンコであろうと、全裸であろうとも。彼は正義のままであった。
後藤さんも、フラメンジャーに誘われようとも副大統領に誘われようと、変わらず町のおまわりさんだ。
(画像は後藤さんでもなんもなく、師匠)
他のキャラに目を向けてみると、後藤さんはずっと病んでいて、まりは勝気なままだ。石原さんは正義を育てようと厳しく当たり続け、今野さんはずっと面白いものを探している。そう、彼らを含めたすべてのキャラクターは狂っていたが、その狂いは多くの場合そのままだ。
しかし、それでいて彼らの中の時が進んでいないとか、進歩が無いかといえばそうでもない。正義は肉体面が強くなり、友達がいないと言っていたのとはウソのように仲間ができて師匠もできている。
後藤さんもアイツの存在を支えとしているのは変わらないが、アイツとの距離はほんの少しながら変化した。まりがゲロを吐きながら自分の矮小さに向き合ったりと、それ以外のキャラも徐々に変化していく。
話のテンポが怪人などの本来居ない存在が居るようになったことに起因するオンかオフかの二極のどちらかであるデジタル的な思考だとすると、それに対してキャラはオンやオフではないアナログな変化を経ている。
大切なものは目に見えない
「大切なものは目に見えない」と第2エンディングテーマ「フライト23時」にサン・テグジュペリの『星の王子さま』の一節が引用されている。
王子さまのキツネがこれで述べたかったことは、「時間」の重ね合わせを経て「大切」なものを形成する「特別さ」や「質」が生まれる、ということだったと記憶している。
後藤さんはアイツの特別さに縛られていて、澤田灰司は特別さを見つけることができなかった。確かに居る・居ないは一瞬で変化するものの、特別さを感じる・感じないという状態が一瞬で変化することは難しい。この二項の間の混沌とした状態がとても幅広い。何か特別な状況(騙されて拒否されるという場合や、生きている事に対する歓びを感じるなど)が無ければ難しいと思う。
『星の王子さま』の中でキツネは「特別なものには責任も生じる」ということについても話の流れで語っている。responsable なので、応答性と言うべきなのかもしれないけれど、とにかく「特別」と感じたものからはそうそう逃げられないのだ。
最後の最後、後藤さんは相変わらずアイツと連絡を取り、灰司は傍から見ると狂った形の愛をまだ正義に対して示している。
正義は彼らに対して長く付き合っていくのだろう。もう宇宙の意思から何もないとは言われたが、もしも世界がまた何かで変わったとしても正義は正義のままで、ヒーローしながら彼らと付き合っていくのだろう。
とりあえずのまとめ
物語の筋としては急転に次ぐ急転で非常に忙しい。しかしキャラに目を向けたらば、未曾有の状況の中で振り回されながらも、自分のペースのまま何かを一歩づつ進めていく若さ泥臭さに非常に惹かれる。戦隊描写など言いたいことは山ほどあるが、独特なリズムで何かと心に残るアニメだ。